東山魁夷の『道』と『夕星』が今も心に残る理由|鑑定士として忘れられない作品

私がこれまで鑑賞してきた日本画の中で、今でも特に心に残っている作品があります。
東山魁夷の代表作『道』です。
東京国立近代美術館に収蔵されているこの作品には、一本の道が静かに描かれています。
一見すると、とてもシンプルな風景画です。
しかし、その一本の道はどこまでも奥へと続いていくような不思議な広がりを感じさせ、私は初めて見た時に言葉では表せない畏怖のよう
な感情を覚えました。
この作品の題材となった風景は、私の故郷である青森県の中の一風景、八戸市・種差海岸付近の一本道だとされています。
実際の風景には牧場や灯台もありましたが、東山魁夷はそれらを描きませんでした。
現実の風景をそのまま写すのではなく、自らの感性を通して再構成し、一枚の心象風景として完成させたのです。
だからこそ『道』には、現実の景色でありながら、どこにも存在しない静かな世界が広がっているように感じます。
この作品は第六回日展に出品され、東山魁夷が日本画家として確固たる評価を得るきっかけとなりました。
その背景には、長く苦しい時代がありました。
戦争では迫撃兵として召集され、いつ命を落としてもおかしくない状況を経験しています。
極限の中で様々な執着が薄れ、「やれることはやった」という境地に至ったからこそ、その後の作品にはそれまでにはなかった新しい
精神性が宿るようになったのではないかと、私は感じています。
東山魁夷の最後の作品「夕星」

そして、東山魁夷の作品でもう一つ、忘れることのできない作品があります。
それが絶筆となった『夕星』です。
2018年に開催された「生誕110年 東山魁夷展」を訪れた際、最後の展示室でこの作品と向き合いました。
展覧会には数々の名作が並んでいましたが、私の心を最も強く揺さぶったのは、この『夕星』でした。
深い青に包まれた湖。
その向こうに静かに立つ四本の木。
そして夕空に輝き始める一つの星。
東山魁夷は生涯、旅の中で出会った風景を、自らの感性を通して作品へと昇華し続けました。
しかし、この最後の作品だけは違いました。
本人は、この作品について「この世のどこにもない、自分の心象風景」であるという趣旨の言葉を残しています。
現実には存在しない、夢の中の風景。
その言葉を知った時、この作品がより一層深く心に響きました。
どことも知れない風景。
どこまでも続いていく東山ブルーの世界。
私はその作品を見ながら、
「たとえ彼の人生が終わっても、東山魁夷の描いた青の世界は永遠に続いていくのではないか」
そんなことを考えていました。
もちろん、それは私自身が感じた一つの解釈に過ぎません。
だからこそ芸術は面白いのだと思います。
見る人によって受け取り方が変わり、それぞれの人生と重なって新しい物語が生まれていくのです。
当時の私は、美術品鑑定士としての経験も浅く悪戦苦闘の毎日でした。
それでも、展覧会で目にした作品の素晴らしさだけは、はっきりと心に刻まれました。
その後、ご縁があり東山魁夷の肉筆画の査定や買取に携わる機会があり、版画作品も数多く拝見してきました。
作品を査定するたびに思い出すのは、初めて『道』と『夕星』を目の前にした時の、あの静かな感動と畏怖です。
作品の価値は、市場価格だけで決まるものではありません。
画家が作品に込めた思いや、その作品が持ち主とともに歩んできた時間もまた、大切な価値の一つだと私は考えています。
だからこそ、これからも一枚一枚の作品と真摯に向き合い、その背景にも思いを寄せながら査定を続けていきたいと思っています。
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